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1.ネズミなど、稲(食物)の敵を捕食すること。
2.毛色や尻尾がたわわに実った稲穂を連想させる。
キツネが農耕(稲作)の守り神、あるいは食物の神として信仰されていただろうことは、上記のような理由からも考えることができる。
稲荷社というのは「宇迦之御魂神」(仏教系では「ダキニ天」)を祭っている社で、決して狐神を祭っているわけではない。
それにも関わらず、稲荷=キツネのような考え方があるというのは、
人々がそれだけキツネを身近なものとしていた時代があったという何よりの証拠である。
朝廷の力がこの国を脅かす以前。この国のキツネは神だった。
身体に病原菌を持つということを実体験から学んだ人々は、
「キツネを怒らせると災いをおこす」などと話すことで、みだりにキツネに触れることを戒めた。
今なお、キツネは祟るなどと言い、キツネに特別の畏怖を抱くのもこの名残である。
朝廷の支配がこの国に及ぶと、もっとも障害になるものは土着の信仰だった。
「神話」に登場しない(存在しない)神を祭り、自分達の神を祭らない。
「まつろわぬ者」達を心から服従させるためには、どうしても信仰をやめさせる必要があった。
しかし、長い間人々の心のよりどころだったものを一方的に廃止するということは、非常に大きなリスクを負うことになる。
そこで、土着の神を「神話」の神の使いという地位に置くことで、間接的に自分達の神を信じさせようとした。
何百年という月日が経つうちに、本来の神はその地位を奪われ、後には「神話の神の使い」というものだけが残る。
これこそが、現在の稲荷神の使いとしてキツネがいる本当の理由で、
「宇迦之御魂神」の一名「御饌津神」(ミケツカミ)を音から「三狐神」(ミケツカミ)とした。
そこからキツネを稲荷神の使いと考えるようになった。というものは間違いである。
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