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平将門公の本拠があった茨城県には、平将門公にまつわる遺跡が数多く残ると同時に、ごく限られた地域にしかみられない民間信仰が残る。
将門調伏を祈願した成田山には参拝しない。桔梗御前が裏切ったために将門が殺されたとして桔梗を植えないなど。強い信仰がいまだに残っていることがわかる。
また、平将門公ゆかりの寺社や平将門公そのものを神として祀った神社なども多い。
普段から氏子の崇敬を集めていたが、戦時下には、平将門公の武勇にあやかってか「弾除け」「無事に帰ってくること」を祈願する人の列が絶えなかったという。
しかし、そんな状況をみてか、祭神平将門命をかかげる神社はお上の手により他の祭神にすりかえられたり、小さな祠などは区画整理などを理由につぶされたりした。そんな苦難があっても、人々は平将門公を信仰することをやめなかった。
千年も前の人間である。直接顔を見て知っているわけでも、なにか恩恵を受けたわけでもない。しかし、自分達は直接その人間に触れていなくても幾代幾十代前の先祖は直接触れている。その時に受けた恩があるから現在の自分達がある。
神話にでてくる名前だけの神よりも、東国の人間にとっての平将門公というのは大恩人であり英雄であり神でもある。
平将門公にまつわる遺跡の数や、信仰が、この人物の偉大さや人々の心をどれだけつかんでいたかを現代に伝えている。
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